片手鍋

ある精神障碍者による、セルフケアと生活設計のためのブログ

妄想のある愉快な暮らし

詳細をここで言うのは控えておきたいのですが、わたしは「今の自分とは生い立ちからして全然違う人物」の人生の細部を妄想するのが大好きです。

そのときにものすごく役に立つのがインターネット。

あるとき「その人物が、まあ小学校低学年あたりが妥当な線だろうと思うけれども、親からお小遣いをもらうとして、それはどのくらいの額がいいのか」ということを調べたことがあります。わりと多いのは「学年×100円」でした。ではいつごろからがいいのかなと思って、「自分でお金の管理ができる年頃はいつか」→「小遣い帳を自分でつけられるあたりがいいのかな」→「ならばお金の計算が自力でできるのはどのくらいの年頃か」、ということで「3桁の数の足し算・引き算」を算数の時間に習うのはいつかを調べたところ、小学校3年生だそうです。こういうことばかり調べています。

ほかにも「1か月くらいの長期の旅行で秋のヨーロッパへ行くときに、衣類はどんなものを持っていけばいいのか」とか、「80年代前半からファッション雑誌を読んでいたという設定で、当時のオリーブとかmcシスターとかはいったいどんな内容だったのか」とか、「フランスに住んで税金を納めるとして、かなり稼いだ場合の所得税というのはいったいどれくらいなのか」とか、まあ自分の中にはわりと細かい設定があるんですが一見するとかなりとりとめのないことばかりを調べています。わりと楽しいです。

最近は「土日も含めて多忙な人は、スケジュール管理をいったい何をどうやってすればいいのか」というテーマでいろいろ調べて、手帳の種類とか使い方とかをさんざん見た挙句、現実にはそんな厳しいスケジュールで動いていないのに、ウィークリー・バーチカルタイプの手帳を買ってしまいました。2015年までまだちょっと間があるというのに。だって東急ハンズでもう来年の手帳のコーナーできてたんだもん。

でもまあ妄想は妄想です。わたしの中の当該人物について、キャリアとか人生設計とか特技とか性格とか、まあいろんな細かい設定はいくらでもあるんですが、でも実際に健常者(というのも設定です)の人が何をどう感じてどう動くのか、現実吟味能力とか情報処理能力とかいう次元の事柄が、わたしには実感として一切わかりません。その点でかなり限界を感じることはありますが、まあ基本的には楽しい遊びです。これが病的な妄想なのか健常者の人も嗜む程度のものなのか、その線引きをどこにするかはわかりませんが、とりあえず妄想であることに自覚的であればいいのかなあ、と思っています。