片手鍋

ある精神障碍者による、セルフケアと生活設計のためのブログ

精神障害者の性を語る、とはいっても

いえ、「精神障害者の生活」について云々するとき、それなりに重要なテーマであるとは思うんです。が、しかし。

セックス20年くらいしてません。したいとも思いません。

過去にはおつきあいしていた人もいたし、まあ全くの処女というわけではないのです。一応ひととおりのことはやりました。しかしその後は何もなく、それで何も困っていないのです。そもそも障害者であれ健常者であれ、「普通、セックスとはするものだ」という常識(これも最近無効になりつつあるのかな)の方が変でしょう。別にしなくても生活に全く支障はないし。ていうか実際やってみて思ったけれども、わたしはセックス下手ですし、そちら方面の向上心もさほどないんですよね。さらに言えばもうこの年になってしまうと、性行為にまつわる諸々というのは別に生活の中でそんなに大きくないんです。将来あるであろう親の介護とか自分の老後とか、そっちの方がよほど大きい。

性行為云々はおいといて交際相手は欲しくないのかと言われると、これもまたどっちでもいいというか。そもそも他人とかかわるということにあまり熱意を持てないし。健常者相手の人間関係がうまくいくとも思えないし、かと言って障害者同士でもそんなに付き合う気にはなれないし。

ただ、あるところでクリスチャンの精神障害者の人が書いていたのを読んで、さすがにこれはちょっと、と思ったのは、「セックスにはAIDSなどの性病のリスクがある、だから結婚してからの方が安全だし、自分は童貞で安全だ」みたいなことです。これ、精神障害の当事者が読むものに書かれてたんですが、どうだろうね、HIVポジティブで鬱持ちの人(それなりにいると思うけど)がこれ読んだら。現状日本では法的に結婚できない立場の人もこぼれるし、セックスワーカーの人もこぼれるし。しかもこれが「当事者の声」として一定の説得力を持ってしまう、ということに違和感を感じます。わたしは今の自分には相手ありのセックスは必要ないと思っていますが、こういう言い方だけはしたくありません。健常者であれ障害者であれ、どのような立場の人であれ、当事者双方の同意があればセックスする自由があり、より安全なセックスのための知識と技術を得る権利はあるべきだ、ただ今の自分はそういう自由を行使したくないだけだ、とは言っておきたいです。